私は福井市で生まれ育ちました。元々は資産家だったようですが、第2次大戦後の民主化政策で農地を手放してから、両親はいろいろな仕事を手掛けましたがうまくいかず、貧しい生活でした。それでも、親の愛情を注がれて育ちました。東京理科大を卒業したころは就職事情が悪く、いろいろな仕事をしました。そんな時に、大成建設の原子力部で働く機会を得ました。海に浮かぶ原子力発電所を研究していたのですが、私は海洋建築のことを知らなかったので、夜間に自費で東海大学の大学院に通って海洋建築の修士を取りました。
地震が起きたときのシミュレーションをしていて、もっと正確にリアルにシミュレーションをしたいと思い、コンピュータグラフィックの世界を知りました。社内ベンチャーとしてCAD開発室をつくってもらうなど、会社にはたいへんお世話になりました。
それから私はCGの世界を入り口にクリエイターになっていきました。プロフィールに書いたとおり、会社から独立した91年以降、CG・VR開発会社やクリエイター養成学校の創設など7社を起業しました。ゲーム会社のときは大手芸能プロダクションのホリプロと一緒にバーチャルアイドル「伊達杏子」も製作しました。ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
こうして私が相次いで起業を繰り返すのはなぜなのか、とよく聞かれます。昔から私はあらゆることに興味を持ちますし、人と会うといつもそんな話をして相手が興味を持ってくれます。人と会話をし、人に興味を持ってもらい、また別の人に出会って、自分の興味もどんどん大きくなっていく――。こうした情報の連鎖が、相次ぐ起業につながっているのかもしれません。戦後の混乱期にいろいろな仕事を始めた父のDNAを引き継いでいるような気もします。
私は起業を繰り返してきましたが、5つの信念は不変です。
- 世の中に無いものをつくる
- 開発はスピードが命
- どんな難題でも解決できないものはない
- 夢を描き続けよう
- 開発したもの(商品やサービス)が社会の一助となる
いま開発しているカードやスタンプ、ハイブリッドQRコードも同じ考えで取り組んでいます。データが膨大化する社会の中で、より簡易で、より安全なシステムが求められています。私たちインターメディア研究所は、その難題を必ず解決するソリューションを、皆さまに提供していきます。