創業者のご紹介

吉田 健治

Kenji yoshida

1954年、福井市生まれ。

東京理科大学建築学科を卒業。

大成建設原子力部主任研究員。同建設内でコンピューターグラフィックの開発を手掛ける社内ベンチャーを立ち上げる。退社後、1991年に、CG・VRの研究開発会社「ビジュアルサイエンス研究所」を設立。

1994年10月、日本初のデジタルクリエイター養成の専門学校「デジタルハリウッド」を設立(2005年に大学開学)。

1995年、デジタルクリエイター専門の派遣会社「デジタルスケープ」設立。

1996年4月にゲームプロダクション「ポリゴンマジック」を設立。

同年7月、Webプロダクション「アイ・エム・ジェイ」を設立。

2004年4月、見えないドットコード(特許保有)を使ったソリューション会社「グリッドマーク」を設立。

同年10月にビジュアルサイエンス研究所からCG部門を分社化し、「ダイナモピクチャーズ」を創業。

創業者・吉田健治からのメッセージ

私は福井市で生まれ育ちました。元々は資産家だったようですが、第2次大戦後の民主化政策で農地を手放してから、両親はいろいろな仕事を手掛けましたがうまくいかず、貧しい生活でした。それでも、親の愛情を注がれて育ちました。東京理科大を卒業したころは就職事情が悪く、いろいろな仕事をしました。そんな時に、大成建設の原子力部で働く機会を得ました。海に浮かぶ原子力発電所を研究していたのですが、私は海洋建築のことを知らなかったので、夜間に自費で東海大学の大学院に通って海洋建築の修士を取りました。

地震が起きたときのシミュレーションをしていて、もっと正確にリアルにシミュレーションをしたいと思い、コンピュータグラフィックの世界を知りました。社内ベンチャーとしてCAD開発室をつくってもらうなど、大成建設にはたいへんお世話になりました。

それから私はCGの世界を入り口にクリエイターになっていきました。プロフィールに書いたとおり、会社から独立した91年以降、CGVR開発会社やクリエイター養成学校の創設など7社を起業しました。ゲーム会社のときは大手芸能プロダクションのホリプロと一緒にバーチャルアイドル「伊達杏子」も製作しました。ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

こうして私が相次いで起業を繰り返すのはなぜなのか、とよく聞かれます。昔から私はあらゆることに興味を持ちますし、人と会うといつもそんな話をして相手が興味を持ってくれます。人と会話をし、人に興味を持ってもらい、また別の人に出会って、自分の興味もどんどん大きくなっていく――。こうした情報の連鎖が、相次ぐ起業につながっているのかもしれません。戦後の混乱期にいろいろな仕事を始めた父のDNAを引き継いでいるような気もします。

インターメディア研究所が提供しているカードやスタンプ、研究開発途中のハイブリッドコードも同じ考えで取り組みました。データが膨大化する社会の中で、より簡易で、より安全なシステムが求められています。インターメディア研究所は、その難題を解決するソリューションを、皆さまに提供していってくれると信じています。